関東大震災は横浜市において震災被害世帯率95.5%(東京市は73.4%)に達し、壊滅的な被害を受けました。残存家屋は5000戸に満たなかったといわれています。
不燃化を進めるために民間出資や東京市・横浜市などの公的資金による協同出資(東京市と横浜市の出資比率は5:1) により大 正15年に復興建築助成株式会社が設立され、昭和18年までの間で東京市859件、横浜市75件の助成実績を挙げました。当時の横浜市中区の鉄筋コンク リート造建物約240棟のうち約3割が助成会社からの助成を受けたものであり、耐火建築化がなかなか進まなかった当時において貢献度は高かったようです。 (以上、栢木まどか・伊藤裕久、横浜における復興建築助成株式会社と共同建築、日本建築学会大会学術講演梗概集2005年を参考)
伊勢佐木町商店街界隈にのこるイセビルと伊勢佐木町共同建築ビル(一部)は、現在も当時の面影を残しています。
旧伊勢佐木町共同建築ビル(一部)。昭和3年建築で3人の施主が間口を分け合うかたちのコンクリート長屋だった。共用部分をもたないため3つの独立階段が用意され、このうち北側の1戸が建て替えられているが、南側の2戸分が残っている。かなり改変されているが、独立階段室のファサード意匠はよく保存されている。 |
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