建築主9名と神奈川県住宅公社の協同による併存ビル(昭和29年度事業(昭和30年9月竣工))として、街区をコの字型に囲む配置が特徴的。この配置によって生まれた2面の隅切り壁面には、片方には大きな薬局の看板が掲げられ、もう一方はコンクリートむきだし、と、どちらも存在感たっぷり。
薬局は明治3年創業の老舗。創業当時は「紀伊国屋薬舗」という屋号がつかわれていましたが、家伝の薬「上気平安湯」が評判が良く3代目のときに現在の店舗名に改称。共同ビルの現薬局店舗地下には貯蔵室も設けられており、建築の際に積極的に設計参加したことがうかがえます。
戦前までの旧店舗は戦災により焼失。敗戦後の接収期間中は西区高島町で移転営業するなど厳しい時期もありました。
同ビル内の料理店も明治20年創業の老舗。やはり旧店舗は戦災で焼失し、敗戦後は磯子区でしばらく移転営業していた時期がありました。
戦後の馬車道通りは昭和40年代ごろまでは歩道にアーケードがかかり、日本で最初に街路樹が植えられた面影は失われ、ごく普通の商店街になっていました。その後、商店街活性化を目指した活動が行われ、アーケードが撤去、歩道が拡幅され、街路樹・街路灯やストリートファニチャも整備され現在のような特徴のあるまちなみに生まれ変わりました。
今年で28回目を数える「馬車道まつり」も、街路樹が戻ってきたまちなみに馬車が行き交っていた往事の賑わいを再現して見せてくれます。まちづくり推進の原動力に、開港以来の横浜関内の賑わいを支え続けてきた横浜の老舗商人たちのプライドが垣間見えます。
(参考:平安堂薬局会社概要、馬車道商店街協同組合ウェブサイトなど)
竣工当時の商栄ビル。1階店舗前の歩道上にアーケードが設けられていることがわかる。歩道幅員もいまと比べると狭い。(写真出典:融資建築のアルバム、横浜市建築助成公社) |
馬車道まつりのようす。アーケードが撤去され、街路樹が植えられ、歩道が拡幅された。このような空間整備と乗合馬車再現のイベントが融合している。 |
関内駅側の隅切り壁面。平安堂薬局の大きな看板がひときわ目を引く。創業以来、多くの渡航者がこの老舗薬局で常備薬として「上気平安湯」を買い求めた。 |
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