横浜の防火帯建築と戦後復興

横浜は終戦直前に大空襲を受け、市街地の中心部のほとんどを焼失しました。さらに、終戦後は約10年間にわたる占領軍による長期接収を受けました。ようやく接収解除が進みはじめた横浜中心部は関内牧場と揶揄されるほど荒れ果て、横浜市民にとって屈辱的な光景が広がっていました。大空襲と長期接収の二重苦からどのように復興を果たしたのか。そこで努力したのはいったいどのような人達だったのか。いまも関内外に残る防火帯建築群を記録・紹介することから考えてみたいと思っています。

2014年2月28日金曜日

30棟のまとめ

これまでご紹介した30棟をまとめました。

(c)2014 Google ZENRIN

① 若葉町二丁目共同ビル   
② 小此木第一ビル
③ 小此木第二ビル
④ 太田一ビル
⑤ 尾上町共同ビル
⑥ 都橋商店街ビル
⑦ 第一大場ビル(現存せず)
⑧ 野田ビル
⑨ 馬車道会館ビル
⑩ 早川ビル
⑪ 吉村ビル
⑫ 長者町二丁目第一共同ビル(現存せず)
⑬ 長者町二丁目第二共同ビル(現存せず)
⑭ 第二イセビル
⑮ 第三イセビル
⑯ 山田ビル
⑰ 吉田町第一名店ビル
⑱ 長者ビル
⑲ 第三大場ビル
⑳ キニヤビル
㉑ 商栄ビル
㉒ 徳永ビルと車庫棟
㉓ 萬国貿易ビル
㉔ 早川ビル
㉕ 公社ビル
㉖ 金港ビル
㉗ LORDビル(仮称)
㉘ イセビル(復興建築助成株式会社)
㉙ 伊勢佐木町共同ビル(復興建築助成株式会社)
㉚ 弁天通り3丁目共同ビル(原ビル)
投稿者 藤岡泰寛 時刻: 17:10
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自己紹介

藤岡泰寛
横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授。専門は建築計画(住宅地の計画、福祉住環境の計画)。横浜の防火帯建築の魅力を紹介するまとまったサイトがなかったためつくりました。気長におつきあい下さい。
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