2013年11月22日金曜日

第一大場ビル(現存せず)

長者町三丁目交差点に、かつて3棟の防火帯建築が向かい合って建っていました。

長者町三丁目側に建っていた第一大場ビルもその一つ。昭和30年度融資を受けて神奈川県住宅公社との併存型の共同ビルとして建てられました。施工は関工務店、建築主は大場ハナ氏。大場氏は交差点対角側のビル(第二大場ビル)も所有。いずれも現存していませんが、大場氏はこのあたり一帯の大地主だったようです。

その後、ある質屋が自動車販売店とともに第一大場ビルを買い取り入居します。戦後に磯子根岸橋で開業したのちに、裏通りの質屋から表通りの質屋へ。市電が通る長者町通りとみなと大通りがクロスする交差点に建つこの建物が選ばれました。時代を先読みした父の事業を引き継ぎ、中古ブランド品を取り扱う専門店のパイオニアへと成長させた息子。このように、横浜の戦後復興は横浜商人たちがつくりだし受け継ぎ成長させてきたものでもありました。

みなと大通りを港にむかって歩くと 開港記念会館、県庁、横浜税関、と「ジャック」「キング」「クイーン」の愛称で親しまれている近代建築3塔に出会えます。でも、港を背にまっすぐ関外に向けて歩いてみてください。

接収解除後の横浜復興を象徴する横浜市役所(昭和34年、村野藤吾設計)、線路を超えてまもなく見えてくる横浜文化体育館(昭和37年)はいずれも開港100周年事業としてとりくまれたものでした。万代町の日ノ出川公園は、接収解除後に行われた戦災復興土地区画整理事業によって生み出されたもの。いまは市民の貴重な憩いの場所となっています。そして市電の通る長者町三丁目交差点へ。

この交差点は、開港以来脈々とつづく横浜の歴史と庶民の暮らしがクロスする交差点なのです。

(参考:株式会社アールケイエンタープライズ会社概要、融資建築のアルバム(横浜市建築助成公社)、ほか)

竣工当時の第一大場ビル。手前に市電の線路や架線がみえる。

2000年ごろの第一大場ビル。ファサードは当時のままだが、下層階店舗は界壁をとりのぞいたり内外装をリニューアルするなどかなり手が入れられている。

質カドヤの刻印が残る第一大場ビル。横浜の戦後復興は商人たちの復興・成長の歴史でもあった。



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